コラム・楼蘭抄
便利さに頼る<2008年8月記>

昔営業をしていました時新しく開発された器械のPRに、宇都宮大学の研究室へ行きました。実験に使った、ビーカーやフラスコなどを自動的に洗浄する器械でした。 自動食器洗浄器の様な物です。

研究室の隅の流しで器具類を洗っている先生に、この器械に洗浄させれば、浮いた時間を有効に使えますと言ってPRしましたところ、先生曰く、私は一つ一つゆっくり洗っている時に新しい考えがひらめく事があるんだよ!と言われました。

私はその言葉が強く心に残っていまして、先日それを思い出しましたのは、中国の古典「荘子」に登場する話を読んだ時でした。

孔子の弟子である子貢が旅の途中で、年老いた農夫に出会います。 老人が泉のほとりに降りて行って瓶に水を汲み、畑まで運び上げては畦に灌いでいました。 見かねた子貢が「便利なツルベを使えば、能率は倍増しますよ」と声をかけました。

すると老人は「機械を持つ者は、必ず機事(機械に頼る仕事)が増えるものだ。 機事が増えると、今度は機心(機械に頼る心)が生じる。 機心が胸中にあると、純白(自然のままの素直さ)が失われる。 純白が失われると、神正(霊妙な生命の働き)が不安定となる。 そして遂に人間が人間でなくなってしまう。 だから、「便利な物に頼らないようにしているだけさ」と、笑って答えたと言う話です。

これは、2,500年も前の話です。
高度に文明は発達しても、人間の本質は変わらないと思います。
宇宙を構成するエネルギーの総量は増えもしなければ減りもしなく、常に一定 量を保っていると言う、「エネルギー不変の法則」に宇宙の構成員である人類は従って、文明が発達して便利になった分むしろ感性や直感力は退化しているのではないでしょうか。

2008年8月 代表取締役会長 羽石光臣