コラム・楼蘭抄
二宮尊徳<2009年6月記>

二宮尊徳は我が栃木県にゆかりがある世界に誇る哲学者です。
現在の栃木県芳賀郡二宮町は尊徳が建て直しをした領地、下野国野州桜町です。

小田原の北部栢山村で生まれた尊徳は小田原藩家老の服部家を再建した手腕が小田原藩公の大久保候認められ、大久保候の末弟、宇津氏が桜町で四千石の旗本をしていましたが、財政が破綻して疲労困憊していましたので、そこの建直しに赴きます。

四年間に亘る桜町の再建が認められ、尊徳は江戸幕府から日光神領二万石の復興を命じられ、今市市に移ります。尊徳のお墓は今市市(現在は日光市)にあります。

小学校の校庭の片隅に薪を背負って本を読んでいる二宮金次郎の像からは小さいイメージを受けますが、実は170cm,100kg位の大男です。因みに、薪を背負った金次郎少年が読んでいる本は中国の古典「大学」です。

世界に誇る哲学者、二宮尊徳が言い残した言葉に、「勤労」と「分度」と「推譲」の三つがあります。
「分度」とは、仏教では「知足」。人間は大欲を持たねば人を幸せに出来ません。

ただ、欲を何時までも追い続けますと、欲のために自分を駄目にしてしまいます。
「勤労」によって得た収入のうち、一定に限度を設定してその中でやりくりするのが「分度」、そこで生じた余財を将来や他人のために譲ることが「推譲」です。

「推譲」とは、仏教では「布施」です。
自分の分度、分限を守った足る事を知る生活をして、 残りを、推譲、布施に回せという事です。
自譲は自分に回す、今年の利益を来年に回す、家族のために回すこと。
他譲は親戚、友達、地域社会、国に回すことです。

尊徳の働く目的は、仕事はただ単に自分のため、会社のためだけに、少しでも多くの財を奪い取ることではありません。奪い合いの競争の果てに、人間らしい豊かな心がおびやかされてしまいます。競争を避け、自分の「分度、分限」を守って、自分の体力、素質を見つめ、行き過ぎないように、天地の理にてらして譲歩しつつ生きる事です。

そして、「他愛推譲」です。自分の利益だけを考えていたのでは物事は解決しません。
自分の利益を考えると同時に他人の利益も考えて、どうあったら良いかと言う事を考えなさいと言う事です。

2009年6月 代表取締役会長 羽石光臣