コラム・楼蘭抄

東日本大震災で巨額の義援金を寄せてくれた台湾に対し、台湾の新聞などで展開した「感謝広告」が台湾の教科書に掲載されることになりました。

■「太陽の道」






日本政府は、震災の一ケ月後の2011年4月11日、アメリカ、イギリス、中国など7ケ国の新聞に、震災の支援に対して感謝の広告を出しましたが、台湾の新聞には出しませんでした。
その非礼に対して、台湾外交部(外務省)は、「親類に礼状は不要。感謝の意は別の形で伝わっているから問題ないよ」と誠に寛大に対処してくれました。
まさに「親日感情と絆の賜物」です。
今回の義援金の大きさは、私達日本人のご先祖様と台湾人のご先祖の徳の大きさです。

台湾で胸像になった日本人<2013年9月記>




■磯永吉、末永仁



日本統治時代の台湾で、コメの品種改良に取り組んだ農学者を顕彰しようと、台湾大学農芸学科関係者や学外の実業家らが寄付を募り、農学者 磯永吉(1886〜1972年)と、磯を助けた農業技師、末永仁(めぐむ)(1886〜1939年)の胸像を制作しました。

磯らは、台湾在来種のインディカ米と日本のジャポニカ米の交配を重ね、味がよく台湾の気候にも適した「台中65号」(蓬莱米)を開発した。蓬莱米は台湾の米産力を飛躍的に発展させたため、磯は「蓬莱米の父」、末永は男性ながら「母」として知られている。

※磯は広島県出身。東北帝大農科大(札幌)を卒業後、1912年に渡台。
総督府農事試験場などを経て30年、台湾大の前身、台北帝大の教授となる。
末永は福岡県出身で、大分県の三重農学校を卒業後、農業技手として10年に渡台。
台中の農事試験場技師などとして、磯の長年の改良を助けた。

■八田與一(よいち)

台湾南部の嘉義から台南まで広がる嘉南平野、15万ヘクタール近くの土地を肥沃にし、100万人ほどの農家の暮らしを豊かにした。

なお、台湾元総統・李登輝氏は八田与一の業績を以下の様に称えています。
台湾に寄与した日本人を挙げるとすれば、日本人の多くはご存知ないでしょうが、嘉南地方に大正9年から10年間かけて作り上げた 八田與一技師が、いの一番に挙げられるべきでしょう。 最近、台湾に築いたダムと水路を世界遺産にしようという動があり、2011.7.10現在署名7万8千人。
2011.5.8には、台湾の財政支出で建設した「八田與一記念公園」が開園しました。



■新渡戸稲造
現在の5000円札の写真は樋口一葉ですが、その前は新渡戸稲造でした。
彼は7年間アメリカで農政、農業経済学を学んで、帰国して札幌農学校で教鞭を取り、1900年「武士道」を英文で発表します。
翌1901年(明治34年)台湾総督府の技師となり、翌年糖務局長に就任。サトウキビの品種改良や製糖会社への助成などの政策を進め、就任から数年で砂糖生産量を数倍に上げるなど大きな功績を残しました。
台湾製糖の発展に貢献し台湾製糖業の父と謳われています。
この「武士道」を、李登輝元台湾総統が日本語で出版されています。



■鳥居信平
1923年(大正12年)に台湾南部の屏東県(当時は高雄州)で、伏流水を利用した環境にやさしい地下ダム「二峰?」を建造し、80年以上経った今も20万人以上の住民が農業用水や飲料水として利用し、その恩恵を受けている。


■後藤新平
インフラに力を入れる方針を決めたのが、台湾総督府民政長官の後藤新平です。
その後も総督府は産業復興に力を入れ、八田与一、鳥居信平により、日月潭の水力発電や嘉南平野の烏山頭ダムなどが造られていきました。
ダムが出来たことによって農業が発展し、台湾はとても豊かになりました。


■浜野弥四郎


■羽鳥又男
最後の日本人台南市長を務め、台南の文化遺産を守り抜いて台南の人々から尊敬される。
大正5年、親戚の羽鳥重郎医学博士を頼り台湾へ渡り、台湾総督府に勤務、その精勤振りから長谷川清総督の信頼厚く、昭和17年に台南市長に抜擢され、敗戦までの約3年間市政を司りました。



■新井耕吉郎、台湾紅茶の父
台湾紅茶産業の発展に貢献した、新井耕吉郎の功績をたたえる胸像と記念碑の除幕式が故郷の沼田市利根町園原の山あいにある敷地で開かれた。
26年に台湾に赴任した新井、茶畑の土壌や気候の調査などに参画し、中部の湖「日月潭」北方の海抜800メートルの盆地が紅茶の一大産地になると確信。
36年に魚池紅茶試験支所(現在の茶業改良場魚池分場)を設立した。
新井は現地で46年に病死したが、台湾の後輩たちが技術を継承し、紅茶産業を発展させてきた。



■松木幹一郎
台湾の電力開発に貢献した松木幹一郎。
1919年、第7代台湾総督明石元二郎によって、各公営・民営発電所の台灣電力株式會社を設立された。
大規模な水力発電所の計画を立案し、当時アジア最大の発電所、日月潭と門牌潭に落差320mの水力発電所建設が着工され1934年に日月潭第一発電所が完成、台湾の工業化の基礎となる電力供給が実現した。

2013年9月 相談役 羽石光臣