とちぎの "食・旅・遊" 情報
〜栃木路をゆく その1.廃線路の旅〜
最近、近所の古本屋でおもしろい書籍を見つけた。
株式会社ネコ・パブリッシング出版の、RM LIBRARY 13 東野物語というのが題名である。東野と言うと国文学者の柳田国男の綴った、民話の故郷”東野”を想像される方も多いかと思うが、同じ東野でもこちらの東野は”東野鉄道(とうやてつどう)”の物語である。

書籍の巻頭を引用してみると、東野鉄道と言う社名はおそらく下野の国の東のはずれという意味であろう。黒羽でぶち当たる那珂川を越えて、かつて東野鉄道が目指した大子町はもう常陸の国だ。那珂湊を河口に北上する那珂川に沿って点在する集落に向けていくつかの支線が延びていた。

まず水戸から那珂川沿いに御前山村までの茨城鉄道、国鉄の真岡線、烏山線、そして今回取り上げた東野鉄道である。興味深いのはこれらの鉄道の多くに延長計画があり、水郡線を含めて各鉄道が連絡する遠大な構図であった。

東野鉄道は、1918年7月17日に、西那須野ー黒羽間13.6kmが開業した。そののち、1924年には黒羽ー那須小川間に延伸した。当時の停車場は以下の通りである。

西那須野(にしなすの) 0km  
乃木神社前(のぎじんじゃまえ) 1.6km  停留所
大高前(だいこうまえ)    停留所
大田原(おおたわら) 4.6km  交換設備あり
中大原(なかたわら)    停留所
金丸原(かねまるはら) 9.8km  交換設備あり(1960.4撤去無人化)
白旗城趾前(しろはたじょうしまえ)    停留所
黒羽(くろばね) 13.1km  交換設備あり・機関区あり
湯津上(ゆづかみ) 16.2km  1939.6廃止
笠石前(かさいしまえ) 18.2km  停留所 1939.6廃止
佐良土(さらど) 21.3km  停留所 1939.6廃止
那須小川(なすおがわ) 24.4km  停留所 1939.6廃止

その後、道路整備や自動車の普及にともない、乗客の利用数は終戦直後の1947年の210万人をピークに年々減少し、度重なる徹底した合理化策も利用客の減少を補うことができなかった。

そして惜しまれつつも、1968年12月に51年の幕を閉じたのである。その後会社は東野交通と名前を変え、宇都宮に本社を構える完全なバス会社となって現在に至ている。現在、自動車道としての北関東縦断道の整備がなされているが、はるか100年前に鉄道による壮大な縦断計画があったことは興味深いことである。




乃木神社表参道に交差するように、通称”ぽっぽ通り”と呼ばれる遊歩道がある。乃木神社前駅のプラットフォームと、僅かばかりの線路が保存されている。










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