コラム・楼蘭抄
東照宮はなぜ江戸城の真北日光へ遷座したのか?<2012年6月記>
 家康の遺言は、
        遺体は駿河国(静岡)久能山に葬り、
        江戸の増上寺(家康が関東入部とともに徳川家の菩提樹)で葬儀を行い、
        三河国(愛知)の大樹寺には位牌を納め、
        一周忌が過ぎてから、
        下野(栃木)の日光山の小堂を建てて勧請せよ」。
        そして、神に祀られることによって「八州の鎮守になろう」
        と指示しました。 
        
        
        ■「太陽の道」
        
        
        久能山の墓、神廟(奥社廟塔)は西に面して立てられています。
        久能山から西に線を引きますと、鳳来寺山、ここで家康の生母・於大の方が、子授けの祈願をされました。
        家康の本地仏とされる薬師如来が祀られています。
        
        その西の、岡崎城は家康誕生の地です。
        このラインは、家康の生涯の中で、きわめて重要な土地です。
        
        さらに西の、大樹寺は家康の父・松平家先祖代々の菩提樹で、家康の位牌が納められています。
        家康の本地仏とされる薬師如来を祀る鳳来山をはさんで、西に生誕の地、東に埋葬の地があります。
        このラインは、太陽が昇り、そして沈む「太陽の道」です。
      
 ■なぜ久能山に埋葬したのか?
        家康が神として再生するためには、「神の世界」であり、太陽が昇る方角である東に葬られなければならない。
        すなわち、埋葬の地は岡崎・鳳来寺山・駿府(家康は大御所となり駿府に隠居)を結ぶ線を東に延ばした、久能山であったのでしょう。
        
        
 
        
        ■なぜ日光に遷座したのか?
        東照宮が江戸の北方に祀られたということは、北極星が不動の星であり古代中国においては宇宙を主宰する神として認識されており、その思想は日本にももたらされていました。
        
        「天皇」の語源は、古代中国において北極星を神格化して「天皇大帝」と称した。
        「この世の政治を司る将軍」のいる江戸城と、「宇宙を主宰する神」である北極星を結ぶ南北の線上「北辰の道」に、東照宮が建てられることになったのです。 
      
        ■不死の道
        久能山と日光山の中継点が、古来不老長寿信仰の霊峰富士山である。
        「富士」は「不死」に通じるので、久能山において神として蘇がえった家康が、富士山を超えて日光山に鎮座したことは「不死の道」を通って、永遠の存在になり、江戸城の真北日光東照宮に遷座することによって、その神格が「宇宙を主宰する神」北極星と一体化されたのでしょう。
        
        
 
	
2012年6月 相談役 羽石光臣
